12月に入るとあちこちのお家で、クリスマスの飾りつけをし、道行く人を楽しませてくれています。
気ぜわしい日々でも何となく和みます。
昨日、年金額改定通知書なるものが郵送されました。なんと!!1パーセントの減額になると。私たち年金族のかしましいおばあちゃん族は大騒ぎです。あちこちで話のタネになりました。しかし、一番恵まれているのは私たちの世代とか。今、働き盛りの若い人たちのことを思うと…。我慢しましょう。ケーキやお饅頭など少しだけ我慢すればいいことだし。
アオキの実がたくさんつきました。中心の大きい枝は虫のせいなのか枯れてしまいましたが、横から出て来たわき芽が立派に育ちました。だんだん寂しくなった庭に彩りを添えています。
毎週楽しみにしております。これからもよろしくお願いします。
返信削除ところで、今週の日曜日から2泊3日で東日本大震災の被災地(岩手県の2か所)を見てきました。
陸前高田市では、「道の駅」、「松林」、「語り部さんの母校」などの被災状況を見聞きました。
海岸沿いに建つ道の駅は、エントランス部分が完全に無くなり、根っこ付きの松の幹などが内部に入り込んだりしていて、めちゃくちゃじょうたいでした。この建屋は保存するとのことでした。
松林は御承知の通り全滅し、奇跡の一本松のモニュメントが復興用の重機の間に小さく寂しそうに見えていました。
語り部さんの母校の水産高校の生徒は、いち早く高台へ避難して全員無事とのことでした。
翌日の宮古市田老(たろう)地区では、備えていた堤防を津波が超えて田老の中心街を一瞬で飲み込んでしまった状況(堤防の一部は破壊されてました)を、堤防の上からと未公開のビデオで見聞きしました。
海に向かって右側の山を切り崩して宅地造成地を作っている段階で、不自由な仮設住宅生活はまだまだ続くように思われます。また、壊滅した旧中心街は宅地開発禁止とするとのことでした。
どちらの語り部さんも、大きな地震が来たら、迷わず高台へすぐ避難しろ!と言っていました。また、田老地区の語り部さんは、手動充電式のラジオ付ライトや石油ストーブ(温風式でないタイプ・お湯を沸かせる。)、卓上コンロと卓上ガスボンベなどが有効と言っておりました。電機以外のエネルギー源が必要と言っているものと思います。
私たちの住んでいるところは、津波の心配はないまでも、大地震に備えていろいろと準備しておきたいですね。
被災地の方々は、復興に向けて頑張っており、我々がそれを後押しする(現地に赴き、消費する)のは大変いいことだと思います。
いずれにしても、実り多き小旅行でした。
朝カル関さんへ
削除凄く充実した旅行でしたね。新聞やテレビの報道でしか知らない私ですが、家族に「1度は見て来たらいいよ」と言われていました。なかなかチャンスがなくて。
すごい経験をした方の教えを素直に真面目に受け止め忘れないことが我々の務めですね。100年、200年…過ぎてしまうと、忘れてしまう怖さ。
これからは皆の意識が違うと思います。