1968年から3年間転勤でドイツのハンブルグに住んでいました。幼稚園の子供二人を連れ、言葉のわからない未知の世界は大変でした。しかし、歳を重ねるごとに、素敵な思い出に変わっていきました。もう一度訪ねてみたい!!家族の願望でした。
息子の休暇に合わせて、就職内定をもらった孫、もう二度とチャンスの訪れない後のない私の3人旅です。
45年前住んでいたアパート、小学校、幼稚園を探す旅でもあります。ありました!!。幻ではなかったのです。記憶はあいまいで最後には番地を追っかけ「これかもしれない!きっとこれだよ!」と。街路樹や庭木はうっそうと茂っていましたが、隣のお友達ミッヘルの家もありました。
小学校も今は夏休みで校門は閉まり、校庭に夏草が茂っていましたが、見つかりました。
それからハンブルグの町を歩いて探索し旧市街、運河まで歩き回りました。
ブレーメンまで足を延ばし古い街に感激。
ハンブルグは3泊でミュンヘンへ移動。ミュンヘンでは4泊。
ため息の出るようなきらびやかなノイシュバンシュタイン城、ローテンブルグの町まで遠出。そして地図を片手にミュンヘンの町を足が痛くなるほど歩き回り、お土産や買い物も楽しみました。帰ると疲れがどっと出ましたが楽しかったで~す。
学校とアパートの通りの標識 |
ブレーメンの古い素敵な街 |
ブレーメンの広場でビールを。左手には命の次に大切な新兵器 |
ハンブルグの港、赤レンガ街 |
おもちゃ箱をひっくり返したようなローテンブルグ広場
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ローテンブルグ名物「スノーボール」 |
待ってました。!!!
返信削除過去を振り返りつつ、お孫さんに伝える旅、とても良かったですね。
以前、ローテンブルグの街並みに挑戦したことがありましたが、写真だったので完成させることが出来ませんでした。
「学校とアパートの通りの標識」の写真は、「私はロボットではありません」の認識映像として、十分使えます。アハハ!
綿の様に疲れた頭で書いたブログ、今日を読み返すと1978年が1968年の誤りでした。訂正しました。28歳の時です。若いですね~。
削除「私はロボット...」???水曜日質問します。